売上ゼロ事業主の逆転人生劇場【第二話】「幼稚園では脱走とイタズラの常習犯 「この子はふつうの小学校には入れません」

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こんにちは
ゆっくり社長の片桐いつきです

このページでは前回のダメ新入社員ぶりから
一気に子ども時代へさかのぼって

わたしがどれだけ生まれつきの落ちこぼれなのか

というお話です

いまは学習障害やADHDなど
いろいろな種類のしゃれた名前がある状態も
わたしが子どものときには

「知恵おくれ」

のひとことでひとくくりに呼ばれていました

学校でも会社でも
わたしより勉強や仕事ができないひとというのは
なかなかいませんでした

ですから声を大にして

「売上を7倍にしたり労働時間を20分の1以下にすることは
 あなたにもぜったいできるはず!」


といいたいし
本気でそう信じています

かなりの変りもの? 独自の世界に生きていた幼少時代

こわいこわいかおをしたおとなのひとたちが
わたしをかこんでようちえんにつれていく・・・

ドナドナの歌詞のようにはじまったきょうのお話。

とつぜんですがあなたはどんな子どもでしたか。

活発な人気者?

おとなのいうことをよく聞くいい子?

やんちゃないたずらっ子?

子どもの頃のことって
本当に自分からみえた世界のとおりにしか
覚えていないような気がしませんか。

武勇伝は大げさに覚えているのに
都合の悪いことはすっかり忘れていたり。

それでも記憶はあって。

おとなになって記憶の映画を再生してみたとき
見えてくるものが子どもだった頃と違ってみえたり
わからなかったことが理解できたりするように感じます。

働きだして自分の致命的な遅さに気づいてから振り返ると
たくさんの点と点が

「あー。そういうことだったのか」

とつながっていきました。

これからお話するのはおとなになってから
再編集された記憶という映画でみえてきたものです。

わたしは「悪い子」だったの? これが知恵おくれな子どもの実態

おとなになってじぶんの実態が少しずつわかりはじめてから
つむいだ記憶のかけらのひとつが
さいしょに書いた呪文のようなナゾの状況。

こわいこわいかおをしたおとなのひとたちが
わたしをかこんでようちえんにつれていく

です。

そのドナドナ状態はわたしのあたままの中ではこんなかんじ。

● わたし
○ おとな

○ ○ ○
○ ● ○
○ ○ ○

全方向完全包囲網!!

「なんでみんなおこってるんだろう」

ずっと意識の表面に残っていたのは
自分が怖い思いをしたという体験だけでした。

でもその同じ場面を
おとなになった自分の頭で再生してみると・・・

幼稚園から抜け出してしまったのはわたし。

理由はいつも

「幼稚園の外にある『なにか』が気になった」

という思いきり自分勝手なもの。

とつぜん気になってしかたがなくなるのはたとえば
一度だけ連れて行ってもらった
どこにあるかもわからない公園の
見たこともない遊具だったこともあれば

おうちのお手洗いのカベにできていた
ひび割れだったことだったり

まだ曲がったことのないあの角の向こうだったり。

とにかく気になったが最後
確認してみないとどうしても気が済まないのです。

親は共働き(か得意の蒸発中)で連絡がつかず。

そこで幼稚園のお友だちのお母さんたちが
必死の思いで探してくれて
大勢でそろって幼稚園まで
安全に連れ帰ってくれていたのでしょう。

何度も何度も。

「なんでほかのうちの子のためにわたしが?」

と本当に頭にきていたひともいるだろうと思います。

仕事をしていなくていえにいるからといって
ヒマなわけじゃないですものね。

だけどほとんどの捜索をしてくださったかたたちは
心配だったのと見つかってホッとした方が
大きかったんだって今になってわかります。

泣きたいような気持ちになったとき
顔をゆがめてこらえますよね。

そんな表情がおさないわたしには
おこったように見えていただけなんじゃないかなぁと。

それにおとなたちからすれば
いきなりなにをしだすか
次の瞬間どんな行動に出るかわからない
「よその子」を預かっているとなれば
理由はどうあれ
神経質なくらい慎重になったろうと思います。

でも小さなわたしは大きなおとなに囲まれて
がっちりとまるで捕まった囚人みたいに感じていたのでしょう。

さんざん迷惑をかけていたのはわたし自身なのに
記憶というのはほんとうに都合のよいものですね。

原因はけっしてあかすことのできない
異常なまでの”水”への執着

また幼少期のわたしは水に魅了されていました。

“魅了”というより“執着”とか
もしかすると“強迫観念”に近いものだったかもしれません。

ここでその原因とおもわれる事件を明かすと
もうほんとうにとんでもない
この社会の闇のお話になるのでここでは省略しますね。

もし直接お話する機会がありましたら
興味があれば聞いてください。

運動場にある水飲み場にいっては
ぜんぶの水道の蛇口を目いっぱいにひねって
はじからはじまで走って往復しながら
自分の手やうでをさらすんです。

手やうではもちろん
おなかもあたまもびっちょびちょ。

真冬の凍るような冷たさの水でもおかまいなしでした。

そんな所業を見て先生が黙っているはずがありませんよね。
もちろん注意されました。

「ここはおみずをのむところだからね。
 そういうことをしちゃいけないのよ」

さて素直なわたしは考えます。

「そうか。
 おみずをのむところでは水通しをしちゃいけないんだ」

そこで次に向かったのがお手洗い。

3つあった洗面台の全部の水道をいっぱいにひねって
やっぱり同じことをしました。

先生だって黙ってはいません。

「あのね。
 ここはお手洗いを使ったあとで手を洗うところだからね」

ちょっと困ったけれど
わたしはまたも考えました。

「そうか。
 おみずをのむところでも
 てをあらうところでも
 水通しはしちゃいけない
んだ」

わたしは素直にいうことを聞いているつもりだけれど・・・

水飲み場・お手洗いの手洗い所がダメとなれば
次は園庭のはしっこにある水道です。

お花にお水をあげるのにじょうろに水を入れたり
お掃除のときバケツに水をくんだりましす。

「これならだいじょうぶ!」

わたしは思う存分手とうでに水をかけました。

結果は・・・

しばらく経つと水道のつかんでひねる部分が外されて
水を出せないようになっていました。

こうして大きくわけて3回水とたわむれることを禁じられても
わたしの水へのあくなき探究心はやむことをしりません。

最後は地面に埋め込まれている
水栓に目をつけました。

ホースがつながっていて
園バスを洗ったり
夏に遊んでいる子どもたちの上に水を降らせて
虹を作ってよろこばせるのにも使うものです。

ちょうどみんなが遊んでいるところからも
少し離れていて
見つかって途中でやめさせられることもなさそうな
おあつらえ向きの場所にありました。

どちらかの手でホースを持たなきゃいけなかったから
片手ずつしかできないのと
長い長いホースから水が出てくるまで
ちょっと待たなきゃいけないことが不満でしたけれど。

そのうち近くの植木の枝に
ホースの先をひっかけて置くと
ふつうの蛇口みたいに両手を使えることも発見しました。

困ったのは先生たちです。

めぼしい水栓には全部見張りをつけているのに
(本当にいつも先生が立って見ていました)
わたしはびしょ濡れになって戻ってきます。

「どこでしたの?」

なんて聞かれても
せっかく見つけた大切な場所を
教えるわけにはいきません。

結局は園バスの運転手さんが
バスを洗いに来たとき
現行犯で御用となり
その水栓のふたの上には
こどもでは到底動かせない
大きくて重たい鉢植えが置かれることになりました。

こうしてわたしの”水通し”の儀式は
先生たちとのいたちごっこのすえに
だんだんと回数を減らしていくことになったのです。

「わたしはどうしてここにいるの?」 ほかの子たちとは別行動が多かった理由とは

それからよく園長先生のお部屋で
過ごしていたことを覚えています。

たまにいじめられたりして泣いている子が
円超室に入ってくると
先生から事情を聞いた園長先生が
その子をひざに乗せて優しく語りかけていました。

わたしはそんなことをしてもらった記憶がなくて
いつも泣かされた子をうらやましいと思っていました。

今思えばたぶん
ほかの子たちと一緒に行動できなかったり
園庭を抜け出してどこかへ行ってしまうわたしは
園長先生の保護下に置かれていたんですね。

園庭での自由なお遊びの時間などと違って
みんなが座っておとなしく
粘土遊びをするような時間になると
担任の先生がわたしを連れに来ました。

みんながお行儀よく座って待っているお教室に
先生に続いて入っていくのは
なんだかとても気分がよかったです。

そのほかにもわたしには
幽体離脱してしまって呼ばれても反応しなくなるクセや
「こう!」と決めたら
ぜったいにそうしないと気が済まないところがありました。

幽体離脱というのは
自分の中身が自分のからだから出て
自分と自分のまわりのことを
外から見ているようになることです。

決めたらてこでも動かないのには
たとえば

「ドロダンゴを5こつくろう」

と思ったら
自分の目の前に5つのだんごが並ぶまで
たとえたったひとりで園庭に残されたとしても
とつぜん雷がなって雨が降り出したとしても
どうしてもみんなと一緒に
お教室に戻ることができないというようなことです。

水騒動のときもそうなのですが
止められたからといって大の字になって抵抗するとか
泣きわめくということはありませんでした。

ただ
せっかく先生がお教室に連れて帰って
席に座らせてくれても
また続きをしに戻っていってしまうというだけです。

親には受け入れがたかった「わが子は知恵おくれ」という真実

そしてこれはもう少し大きくなって
親から聞かされたことですが
わたしはなにをできるようになるのも
ふつうの子より遅かったといいます。

ハイハイもつかまり立ちも歩くのも。

中でも親から特に言われたのは
言葉の遅れです。

おしゃべりは好きだし
親がこっそり録音していた
きょうだいたちと遊んでいる音声をきいても
それなりにふつうには話しているのですけれど。

はじめてしゃべったのが遅かったのはもちろん
カタコトの単語から文章になるまで
だいぶ時間がかかったそうです。

そんないろんな場面と一緒に思い出して
働きはじめてから意味のわかったことが
もうひとつありました。

「知恵遅れ」という言葉の意味と重みです。

わたしが通うことになる小学校では
入学前の面談がありました。

これ自体はふつうのことなのだと思いますが
わたしの記憶では面談は一度ではありませんでした。

そして母親がきらったのが

「知恵遅れ」
「養護学校」

という言葉。

どちらもそのときには意味がわからなかったけれど
あまりに繰り返しつかわれたために覚えていました。

ここで親の人となりを考えて分析すると
たぶん彼女は
自分の子どもが普通の学校に行けず
養護学校という名前の学校に通うことは
どうしても許せなかったのだと思います。

知恵おくれという言葉も
今はあまり使うのが好ましくないと
言われているみたいですが

当の本人であるわたしからすると
呼び名が変わろうが
状態は一緒なので特に気になりません。

もっというなら
どんなに優しそうな言葉だろうが
イジワルな気持ちで言われればわかりますし。

差別だどうだというのは言葉自体じゃなくて
使う人の姿勢ひとつなんじゃないでしょうか。

そしてとても残念ですけれど母は差別的な人です。

どうしてわたしが「知恵おくれ」という言葉を
子どもごころに覚えていたのか。

それは近所で普通の学校の授業についていけず
途中から養護学校に行った子のことを
母がみくだしてそう呼んでいたからです。

母の口にする「知恵おくれ」という言葉には
憎悪にも似た気持ちがふくまれていたように思います。

「知恵おくれの子はなにをするかわからないから
 ぜったい近づいちゃいけない」

まるで犯罪者予備軍のように
子どもに言って聞かせるのをはばかりませんでした。

だから自分の娘が“障害児”扱いされると感じて
どうしても普通の小学校に入学させたかった。

いいえ。

普通の小学校に入学させなければならなかった

のでしょう。

そのあたりの話はあとになって
彼女がわたしのためにどんなに奮闘したかと
幾度となく聞かされてきましたから
6才児のあやふやな記憶というわけでもありません。

とにかく最終的には

「養護学校の定員がいっぱい」

という理由で
わたしは普通の小学校に通うことになりました。

ベビーブームの生まれですから
それは本当なのかもしれないけれど
半分くらいは母親の
烈火のごとき怒りのせいなのじゃないかと思っています。

「この子は普通学級の勉強にはついていけませんよ」

と太鼓判を押されていたのですから
そのあとのわたし(と先生方)の苦労は相当のものでしたが
今では理由はどうあれ
むりやりにでもふつうの小学校に入れてくれた母に
感謝しています。

あのとき別の道へ行っていたなら
今とはまったく違う人生になっていたでしょうから。

別の人生が不幸だったろうということじゃなく
今となっては今ある幸せと
これからおとずれる幸せの予感が
とても大切なものになっているからです。

生まれながらの落ちこぼれなりに必死に生きてきたから

もし母が先生たちのいうとおり
わたしを養護学校に通わせていたら。

授業についていくためにたいへんな思いをしなくてすんだぶん
授業に追いつくためのいろいろな工夫もしなかったとおもいます。

どんなに無茶でも

無理が通れば道理が引っ込む

でつまづきまくりながらも必死にやってきたからこそ
たとえひとの3倍かかっても5倍かかっても
目標を達成するために努力しつづけられるのだと。

あなたと同じ教室、おなじ社会の中でもがいてきたから
もしかしたらあなたでさえむずかしいと感じるかもしれないことにも
挑戦して結果を出すこともできます。

たとえば病気がもとで会社をクビになり
独立するしかほかに道がなくなったとき。

普通の学校の授業にむりやりついていく苦労をしていなければ
とつぜん職をうしなったことを解決できる問題と考えられずに
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自分には到底理解できないものと一瞬であきらめて
ずっとうつむいたまま日陰の人生を送っていたかもしれません。

そしておそらくわたしが追いつきたくても追いつけなかった
”普通”の側で生きているであろうあなたなら
おなじ機会でわたしとは比べものにならないくらい
いい結果が出せるはずです。

断言できます。

だてに40年以上も
社会の落ちこぼれとして生きてはいませんから。

もうすっかりいいとおとなになったいまでは
自分の立ち位置がよく見えています。

44年間生きてきて
わたしよりもともとの能力がおとっているひとには
ひとりも出会ったことがありません。

ひとりも、です。

いつも上ばかり見て生きてきました。

あなたもその中にいます。

あなたくらいの能力を持っているひとが

「自分には特別なことなんてできない」

とあきらめてしまうのは
はっきりいってとてもくやしいです。

わたしにできたことならば
あなたは3分の1・5分の1のちからや努力でできるはずですから。

どうか

「いまよりいい人生なんて望めない」

なんてあきらめてしまわないで
わたしよりもずっといいくらいの人生を
手に入れていただきたいです。

わたしも無料で経営のご相談をお受けしたり
効率のよい勉強法などをお伝えしたりもしています。

すべては

わたしが人生をかえられたのなら
あなたにもぜったいかえられる

と断言できるからです。

あきらめてほしくないからです。

盛りだくさんでゴメンナサイ! 次のお話はもっと悲惨かもしれません

さて。
ここまでお読みいただきありがとうございました。

わたし自身はこの人生しか生きていないから
特別に苦労をしたとはおもっていません。

生きていたらみんなたいへんなことってありますものね。

わたしの人生にもいろいろなことがあって
つぎのお話も子どもの頃のことで
よく両親が蒸発したというものです。

このこと自体も「知恵おくれ」として
ずっと生きてきたのとおなじで
わたしにとっては特別な苦労ではありません。

ただの過去の一部です。

それでももう子どもじゃないから

子どもたちだけを残しておとなが突然いなくなる

というのがどんなに異常なことかはわかります。

にんげん、どんなに弱ったことになっても
じぶんよりも弱かったり幼かったりする存在を
なんとか守ろうとするようにできているんですね。

というようなお話です。

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