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売上ゼロ事業主の逆転人生劇場【第一話】「みんなほんとにそんなに速いの?」 働いてはじめて気づいた致命的な自分の遅さ

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こんにちは
ゆっくり社長の片桐いつきです

このページでは

「ホントにそんな人いるの?」

と思われそうな
ダメ新入社員ぶりをお話しています

これを読んだらあなたも

「こんな人が社長になれたなら
 自分にもきっとできるはず!」


と感じると思います

当時のわたしの上司や同僚になったつもりで読むと
仏のこころも育めて一石二鳥です

「みんなほんとにそんなに速いの?」 働いてはじめて気づいた致命的な自分の遅さ

学校は毎日毎日時間割に縛られて
自由なんか許されずに勉強しなきゃならないところです。

今となっては
好きでも得意でもないものを
みんながなんでも全部同じように学ばなければいけないのは
単なる教育制度の怠慢だと思います。

けれどそんな不自由この上なく見える学校の制度は
実は雇われて働くという環境に比べたら
どこでもドアを与えられていたくらい自由なものだったのだと
就職してすぐに思い知ることになりました。

わたしだけなぜか仕事が終わらない

学校に行っているあいだは
勉強ができない分は量でなんとかするという
力技が使えました。

でも会社に通って
与えられた仕事を決まった時間内で
こなさなければいけないとなると
わたしがやっとの思いでつちかってきたこの方法は
なんの役にも立ちません。

唯一応用できたのは
なにをするのも人より遅いわたしが
無意識にしてきたなんでも効率化しようとするクセくらいです。

たとえば似たようなことを繰り返すなら
表や図式などを作って
同じ工程でかかる時間や手間を減らしたり
いちいち考えなくてもいいようにしたりする工夫を
知らず知らずにしてきました。

これもほかの人より勝るとかラクをするとかいうよりは
なんとか落ちこぼれないように
ぎりぎりでも追いついていけるようにという理由です。

それでもどうしても追いつけないことも
たくさんありましたけれど。

たとえば給食。

わたしはお昼休みが終わって
帰りの会や次の授業やそうじがまわりではじまっても
ひとりごはんを食べ続けるような子でした。

「しっかり噛んでゆっくり食べなさい」

という情報と

「休み時間以内に食べ終わるようにしなさい」

という情報の
どちらのどの部分をどのくらい優先したらいいのか
なかなかわからなかったからです。

同じようなことはたとえば掃除でも起こります。

「みんなで使うものだからきれいにしましょう」

という情報と

「掃除は20分で終わりにしましょう」

という異なった種類の情報は
わたしのザンネンな頭の中では処理しきれなかったのです。

「きれいにするにはそれなりの時間がかかる」
「でも授業がはじまると『ちゃんと席につきなさい』と言われてしまう」

という具合にとても混乱したことだけはおぼえています。

学校は集団行動を身につけさせる場であるとともに
おとなからしてみれば
とりあえず登校して下校時間まで校内にいて
試験でそこそこの点数がとれればよしとする
みたいなところもあるんじゃないでしょうか。

とてもじゃないけど
集団行動ができていたとは言えないわたしでも
なんとか学校の一員として過ごせていました。

それがお金をもらって仕事をするとなるとそうはいきません。

まず
なにをしても人とはズレてしまうわたしは
いきなり“協調性がない”という烙印を押されます。

それは学校でも突拍子もなく見える行動をしていましたから

「自分へのあてつけ、わざとじゃないか」

と考えて不愉快なかおをしたり
怒りだす先生も中にはいました。

でもだからといって
注意をされたときにとりたてて反抗するわけでもなく
(たんに説明がじょうずにできなくてだまっていただけ)
言われれば従っていたから
なんとか丸く収まっていたのでしょう。

おそらくは和をみだしまくっていたにもかかわらず
授業についていくのもぎりぎりでいつも必死だったため
”まじめな生徒”だとも思われたようです。

おかげでラクをして推薦で入社できてしまったまではよかったものの
そこは地域でも精鋭が集められている場所。

だてにお給料だけ高いだけではありませんでした。

大学を卒業して
かわいそうにへんぴな田舎に配属された人たちも
出身校は東大・京大はじめ
大学のことなんかまったくしらないわたしでも
聞いたことのある学校ばかり。

一糸乱れずとばかりに
まわりと同じように行動する姿は
よく訓練された軍隊のように思えました。

そして実務の面でも
わたしはあっという間に“ダメ社員”に格付けされます。

それはそうですよね。

「この仕事を午後3時までに終わらせてください」

と同じだけの仕事量を振り分けられても

「明日の朝9時までに仕上げますからそれでなんとか!」

というわけにはいかないですから。

きっとあなたがおなじ職場にいるのはいやな同僚でしょうし
間違っても働き手として雇いたくはない人材だと思います。

なにせわたしがまわりの人と同じ時間でこなせる
仕事の量といったら
はじめは半分くらい
少し慣れて“効率化”をひととおり取り入れても
7割くらいがやっとでしたから。

優秀にテキパキと仕事をこなしていく
上司や先輩や同僚が
わたしにはサイボーグのように見えていました。

この期に及んでもなお

「なんだ? この人たちは異常にデキる人たちだ!」

と自分ではなく周りが規格外なのだと
思い込んでいたのです。

まったくのん気だとしかいいようがありません。

できない社員の見本? 学習障害とADHDのあるひとが働くとこうなる!

そのうえわたしには
あまり長時間ひとつのことに集中していられない
という特徴まであります。

学校がまだよかったのは
授業中はとりあえず先生の声くらいしか聞こえないことです。

だれかがそばでおしゃべりをはじめたり
「たけや~ さおだけ~」なんてスピーカーから流している
車がとおりかかったりするともうだめでした。

一度に届く情報が多すぎて処理しきれなくなるのです。

それが一般的な事務員の職場だったら・・・
と想像してみてください。

50人からの社員が広い部屋に机を並べて座っている職場です。

電話はあちこちでひっきりなしに鳴るし
それに応えて何人もの人が別々の話をしています。

ほかにもなにかの企画について話をしている人たちがいれば
パタン、バタンと戸棚を開け閉めしながら
書類を探し回っている人もいます。

自分の机は学校のときより
4倍くらい大きくなったけど
その机一面に書類が散乱していて
一瞬でも目を離したら最後
さっきまでなにをしていたのか
まったくわからなくなってしまう始末です。

とにかく雑多な情報が
とめどなく暴力的に脳に流れ込んでくる感じでした。

処理能力が追いつかなくなったパソコンが
固まってしまうのと同じことが起こります。

そうなると

「就業時間中なんだからここに座っていなきゃ」

という歯止めはもう効きません。

仕事中なのにフラフラと机のあいだや廊下を
徘徊しにいってしまいます。

あなたのとなりにそんな同僚が座っていたらいったいどう感じるでしょうか。

自分は必死に仕事をしているのに
1時間おきくらいにボーっとして
席を立ち歩き回る人が職場にいたら。

「同じお給料をもらってサボってる人がいる」

そう思えて気持ちよくはないですよね。

おまけにその人は仕事も遅くて
結局間に合わなくなりそうな分は
あなたも手分けして手伝わされることになるのだとしたら・・・。

それでも労働者は労働基準法にまもられているから
会社としてはとんでもない不祥事でも起こさないかぎり
ちっともつかえない社員でもクビにはできないんですね。

特にわたしが就職した会社みたいに誰でも名前を知っているような
有名な企業ともなるとなおさらなのだと思います。

たったひとりを辞めさせたことで
そのひとりに大騒ぎされて
会社の印象が悪くなるほうがよっぽど都合が悪くて
挽回するにはお給料なんか比べものにならないほどの
出費を余儀なくされてしまうからです。

でも現場で一緒に仕事をしているひとたちの気持ちが
穏やかであるはずがありません。

それなのに運のいいわたしは出会いに恵まれて
上司も先輩も同僚も
辛抱強く仕事をさせてくれました。

「席に座って仕事をしなさい」

「間違いがないように何度も見直しなさい」

そう叱られたことはあるけれど
仕事がとんでもなく遅いことについては
文句一つ言われたことがありませんでした。

それがかえって心苦しかったくらいです。

「わたしはどうしてほかの人みたいにできないんだろう」

「一生懸命したい気持ちはあるのに
 集中できないのはなんでだろう」

懐の深い人たちに囲まれていたおかげで
ゆっくりなわたしもようやく

「もしかしてこれはまわりの人じゃなくて
 わたしが一般的な規定からはずれているのかな」

と考えはじめることができたのです。

パンドラの箱がひらくようによみがえってきた過去は・・・

ひとたび

「自分のなにかがおかしいのかも」

と考えると

「そういえばそんなこともあったような・・・」

といろいろなことが思い出されてきました。

そして小さな断片になって
わたしの頭の中を漂っていたものが
だんだんとつながって
いくつもの色あせた場面が古い映画のように
でも意味のある映像や音になってよみがえってきたのです。

ここまでにお話した学校の授業中のことや
給食やそうじの時間のできごとも
こうして働いてじぶんの人並み外れた遅さに気づいてはじめて

「そういえば
 そうじがはじまっても給食を食べつづけていた子なんて
 わたし以外にいなかったなぁ」

となった”あらたな発見”でした。

子どものときにはほかの子たちとじぶんがそんなに違うなんて
まったく思いもしなかったのです。

そうして20年近くも経ってからやっとつながりはじめた断片の中でも
一番古い記憶は幼稚園時代にまでさかのぼります。

おとなになっても目の当てられないような
ダメ社員ぶりを発揮していたわたしは
まわりのおとなからすれば
それはそれはあつかいにくい子どもだったにちがいありません。

いまでこそ認知されている学習障害やADHDなどのしゃれた名前は
わたしが幼かった頃にはまだまだ一般的ではなかったのだろうと思います。

特にわたしの出身地のような田舎では
あまりに落ち着きがなくて集団行動ができなかったり
ひとつのことを何度教えても覚えられなくて
幼稚園や学校の活動についていけない子どもは
まとめて「知恵おくれ」と呼ばれていました。

売上ゼロ事業主の逆転人生劇場【第二話】は

幼稚園では脱走とイタズラの常習犯 「この子はふつうの小学校には入れません」

です。

実は知恵おくれだとは知らされても理解してもいなくて
どうしてもまわりに合わせられないながらも
自分なりに工夫をこらしてなんとか追いついてきた
落ちこぼれ人生のはじまりをお話したいと思います。

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