こんにちは、いつきです。
社長になって1年半たった今でも
現役引きこもりを貫いているわけですが、
最近、しみじみ、
「あぁ、引きこもりになって良かったなぁ」
「引きこもりになっていなかったら・・・
そう考えると見も凍るほど恐ろしいなぁ」
などと感じています。
でもそれは、
「引きこもりになったことで
人の痛みが分かるようになったんです」
とか、
「引きこもりになって
人生で本当に大切なことが何か分かりました」
とかいうことではありませんよ。
ぐうたら社長のいつきが書くのに、
そんなN○Kのようなノリの
話になるわけがないではありませんか。
私が
「引きこもりになって本当に良かった」
引きこもり万歳!
と叫びたいような気持ちになる理由は、
人生の、まだそう遅くないうちに
お金儲けに本気で向き合うことができたからです。
引きこもりになる直前、
私は契約社員として営業のような仕事をしていたことは、
『私がどういう原因と経緯で引きこもりになったのか
分かりやすく書いてみようかな その1』
の記事でもお話しましたね。
その前には1年間、
オーストラリアでのワーキングホリデーを楽しみ、
(1年間、ワーキングのまったくない
ただのホリデーでした。)
さらにその前は派遣社員として、
その日暮らしの生活をしながら
のほほんと働いていました。
まだ、人生の暗闇を見る前でしたからね。
我ながら、
「あの頃の自分は可愛かったなぁ」
と思います。
洋服にも、食べ物にも、遊びにも、
20代でお金をかけまくり切って、
それほどお金を使う欲求のなかった私は、
数か月に1度、
海外旅行に行けるくらいのお金が、
何も考えなくても
いつも預金通帳に溜まっていました。
そして実際、
わざと期間限定の職場を選んで
2、3か月働いたら
1か月は海外旅行に行くとか、
同じ職場で継続して働いていても、
エクセルなどを駆使して小さな仕組みを作り、
何かの締め切りでもなければ
私がいなくても大丈夫な状態を完成。
その上で派遣先の上司と交渉して
10日~2週間ほどの休みをいただいては
海外を旅行していました。
さすがに正社員だと、
例え自分がいなくても
まったく平気な状態を作れたところで、
他の人が働いているときに
自分だけラスベガスで豪遊、なんて
許されることではありませんよね。
私が好んで「派遣・契約社員」でい続けたのは、
自由度が高いことが一番の理由でした。
もちろん、派遣社員だったら
ボーナスなどないし、
時給でお給料が計算されるのだから
働かなければその分収入は減りますよね。
私が、普通ならそんな、立場の弱い、
「不安定」の代名詞のような一派遣社員でいながら
好き勝手に旅行ばかりしていられたのは、
もちろん、副業の存在があったからです。
派遣社員として一日7時間、
月に丸々20日働けば手取りは16万円くらい。
(すでに平均より高いですね。
自分を安売りしない主義なので。)
でも適当に休んだりしていたから、
たぶん平均12~13万円くらいを
毎月お給料としていただいていたと思います。
そんな収入では、
いくら扶養家族のいないひとり暮らしとは言え、
貯金なんて二の次、
食べていくのにも気をつけないといけない、
ワーキングプアとの「境界線上」ですよね。
けれどいつも、何か新しいことを
面白がっては副業にしていた私には
副業からの収入が常に月数万円はありました。
考えると恐ろしいですね。
この「数万円」の副収入が
毎月安定してあるかないかで、
ワーキングプアにも
気軽に海外旅行に旅立てる身にもなるのですから・・・。
私は、まったく老齢年金に期待していません。
でも、派遣社員でボーナスもなく、
次の契約更新の保障がなくても、
老後を心配することはありませんでした。
いつでも面白そうなことを見つけて
それを副業にしていた私は、
「この先、長く生きている間には
そのうちのひとつでも軌道に乗って
雇われなくても生きていけるようになるんじゃないかな」
と、何の根拠もなく夢想していたからです。
30代にもなってそんな調子でしたから、
もしかすると、相当悠長な性格なのかもしれません。
これが、とんでもない勘違いだったということなど、
当時はそれこそ、夢にも思いませんでした。
そんな能天気この上ない私が、
ある頃を境に、働けなくなります。
「引きこもり」の到来です。
まるで、映画のフィルムや写真のネガを見るように、
私を取り巻く世界の「明」と「暗」が
見事に入れ替わりました。
副収入として
私の私腹を肥やしていてくれていた
(ちょっと意味が違うか)
副業からの収入が、
唯一の収入源になりました。
月数万円の副収入は、
月10何万円かの主だった収入があってこそ、
その存在がキラキラと輝いていたのです。
月数万円の収入だけでは
当然生きていくのにも困窮します。
引きこもりになったことで私は、
副収入に本腰を入れること、
副業だけで食べていけるようになることが
唯一、生き残る道になりました。
どんな雇用形態であれ、
雇われて働いている間には、
仕事がすでに用意されてそこにあります。
自分で自分を雇う、と言うと
何か格好いいようですけれど、
自分でお客様を見つけて、
自分で仕事を創り出すこと、
そしてそこからの収入だけで生きていくことは、
私が考えていたほど
生易しいものではありませんでした。
私はつくづく、
「毎日、毎日、仕事を提供してくれる
『会社』ってすごい仕組みなんだな」
と生まれてはじめて思い至りました。
そのことを町工場の社長の娘である
私の友人に言うと、
「本っっっっ当にそうなんだよ!」
と、地面にのめり込みそうなほど
強く肯定されたのを覚えています。
どれほど大変であっても、
その、どこかの『会社』がしてくれていた役目を、
自分でするしかないんだ。
突如引きこもりになった私は、
「定年なんて関係なくずっと働くんだぁ」
と、数十年先までに実現しようとしていたことを、
来月の支払いに間に合うように!
そんな勢いで実現することを余儀なくされました。
まったく人生、
一歩先には何が待っているか分からないものです。
そうして引きこもりになったがために、
あれよあれよと
個人事業主としての収入だけで
生きていくはめになった私の生活は、
それは悲惨なものになりました。
月に4、5千円の食費で
生きながらえなければならなくなりました。
来月こそは、家賃の支払いを待ってもらうよう、
大家さんに泣きつかなければ
ホームレスになってしまうという可能性が、
日を追うごとに現実味を帯びていきました。
気がつくと、お金のことばかり
心配しているようになりました。
そうして、気がつくと、身長160cmで
体重はいつの間にか
40kgを切るまでに減っていました。
幸い(?)引きこもっていましたから
人と顔を合わせる機会もありませんでしたが、
頬はこけ、やつれ、
誰が見ても何かがおかしいと思われたであろう
風貌になりました。
あばら骨が、お腹側だけではなく、
背中側でも皮膚のすぐ下に
浮き上がってきたのを見たときには
それが自分の体であることを
否定したくなるほどの戦慄を覚えました。
そこにあったのは
写真や映像でしか見たことがないような、
飢餓に苦しむ人、
そのものの体だったのですから。
何をどうがんばっても、
自分で創り出す仕事は、
「副収入」「副業」の域を出ない時期は
終わりが来ないと思われるほどに続きます。
岩の間からしみ出る湧き水のような収入を
なめるようにして生きていたその間に、
私が見たもの、経験したことの中には、
こんな、誰もが読めるブログのような場では
到底お話できないほど
悲惨なことが、まだまだたくさんあります。
途方もなく追い詰められ、
「死」さえ目の前をちらつくようになっていた
私を救ってくれたのは、
ある考え方との出会いでした。
その考え方とは、
個人事業主としてではなく
経営者として自分を経営する、
というものです。
と、これだけでは、
個人事業主と経営者と、
何が違うのかまったく分からないですよね。
個人事業主として働くというのは、
自分の時間や体力を
切り売りして働くということです。
自分で働く日時や場所を選べるという
自由度が少しあるだけで、
時給や日給で雇われて働くのと
何ら変わりはありません。
一方、自分を経営する働き方の大原則は
自分は働かない
ということです。
ご自身の目を疑うような話かもしれません。
けれど、
「社長って何にもしていないのに
何で一番いいお給料をもらっているの?」
そう疑問(むしろ不満?)に思ったことはありませんか。
社員がそろそろお腹を空かせて
お昼のことを考え出す頃に
のんびり社用車で出社して、
一般社員が満員電車の中で
四つ折りや八つ折りにして
それでも次の記事を読むときには
隣の人に遠慮しながら
手品師が牛乳を消すときの手順みたいに
複雑に折ったり開いたりしながら
読んでいた新聞を
これでもか! と言わんばかりに
椅子にふんぞり返ってぶぁさぁっと広げて読み、
女子社員たちが
月に一度の贅沢に、と楽しみにしている
評判の良いホテルのレストランで
他の経営者たちとガハハハと笑いながら
毎日極上のコースをつまみ、
ワインでも飲んだのか、
赤ら顔で帰ってきたと思ったら
社長室の扉を閉めて
電話を何本かかけ、
やおら運転手さんを呼びつけたと思ったら
3時のお茶を淹れるお茶当番を尻目に帰宅してしまう。
そんな社長が、じゃあどうやって
お金を稼いでいるかといえば、
私たち社員に働かせることによって
役員報酬を手にしているわけです。
私も今は社長、
いっぱしの経営者になったのですが、
社員はいません。
そんな場合、社長がどのようにして
役員報酬を確保するかといえば、
仕組みを作って、仕組みに働かせたり、
お金を元手に、お金に働かせたりして
決して自分は働いたりしないぞ!
と誓うくらいの勢いで、
働かずに収入を得られるようにならなければ、
一生、自分も、会社のために働く、
社長という名の「一社員」の立場から
抜け出すことはできないのです。
私は30代で引きこもりになりました。
「30代」という年齢と、
「引きこもり」という言葉の組み合わせ。
それだけ聞くと、
何か、人生終わっている、
そこから逆転とか再起ってできるものなの?
という絶望感が漂いますよね。
けれどそれは、あくまでも、
自分が直接働く以外に
収入を得る方法はない
という、ごく一般的な考えの
副作用のようなものに過ぎません。
30代で引きこもりになったことで、
あっという間もなく
鼻歌交じりの人生行路から荒海に転落、
もうあと一瞬も、水面に顔を出していられない、
というほどにまで追い込まれ、
そこで、自分が定年になるまでになれたらいいな、
とおぼろげに想像していた
「経営者」としての考え方に出会いました。
これが、50代とか、60代とか、
気力も体力も衰えを隠せない年齢になってから
せっかく「自分を経営する」、
そのためには「自分は働かない」という
考えに出会えたとしても、
その思考を吸収するのにも、実践するのにも、
今よりずっと、
苦労をしたであろうことは間違いありません。
それに、歳を取るにつれて、
考え方が頑なになってしまって、
そもそも
「自分を経営するとは
自分は働かないことだ」
という、常識外れとも思える考え方を
受け入れられなくなっていたかもしれません。
30代という遅すぎる年代で
引きこもりになって、
30代という若すぎる年代で
寝たきり状態を経験することができて
本当に良かったなぁ。
私の人生、
引きこもりになることで救われたなぁ。
そう思うのは、
まさに私の人生を一変させ、
もう、これなしの自分は想像できない、
と言うほどに強烈で、核心的な、
「経営者」としての考え方に出会えた。
そんな理由からなのです。